会長ブログ
靴下ソムリエ
2019-09-24
カテゴリ:新製品開発,コラボ事業,靴下ソムリエ
今日も奈良の小さな靴下工場の有限会社巽繊維工業所の社長ブログを拝見いただき、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。
今日の内容は、『靴下ソムリエ』になります。
第3回目の試験は、9/20(金)に実施されました。
詳細は、
その中より、
奈良県の靴下生産の歴史です。
奈良県の靴下産業の基礎を築いたのは、大和木綿の栽培でした。
靴下の町と言われる広陵町は、当時の綿作の中心地でもあった。大和木綿・大和絣を産出していた。
その広陵町で、最初に靴下作りを始めたのは、北葛城郡馬見村疋相の吉井泰治郎と伝わっています。
吉井氏は、西暦1910年・明治43年に手回しの編み機を購入し、靴下生産を木綿の機織りに代わる農家の副業として開始した。
その頃、すでに東京・大阪・名古屋・兵庫でも靴下製造産地が形成され、国産の半自動編み機も完成していたそうです。
奈良県の靴下業界への参入は後発であった。
しかし、戦後にデュポンの開発したウーリーナイロン糸が普及すると奈良県の靴下業界も飛躍的に発展しました。
奈良県の地場産業として、靴下の製造に関する企業群が集積し、完全な分業体制で最盛期の1980年代には、1,000者以上が存在しました。
奈良県内で一貫生産できる体制は、他府県では稀有で疲弊はしましたが、貴重な地域資源として残存しています。
そして、その企業群は、大手企業の下請け工場として、OEM生産を生業にしてきました。
原材料の糸を調達する先も同じなら、製造する機械もほとんど同じ、後工程の刺繍やプリントも同じになり・・・・・
壮絶な低価格競争と模倣を繰り返してきました。
もうそろそろ、その考え方ややり方を根本から変えなければならない時代に来ていると思います。
価格競争から価値競争に協業で取り組まないと、地場産業が伝統産業になり・・・・
『昔、奈良県では靴下が生産されていた時もあったそうです。』と言われることになりそうです。
実は、巽繊維工業所は、すでに協業を始めています。他府県まで拡大して協業企業のお困りごとを協力して解決したりしています。OEM先に残された在庫をWeb販売したり、遊休設備を製造に使用したりして、企業ごとの課題を些少ではありますが、一緒に解決しています。
もし、賛同いただける企業様がありましたら、ご一報ください。プライドや恥ずかしがっている余裕は無いと思います。少しの勇気を心よりお待ちしています。