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会長ブログ

日本の靴下の歴史

2019-09-29
カテゴリ:新製品開発,靴下ソムリエ
しとうず
しとうず
今日も奈良の小さな靴下工場の有限会社巽繊維工業所の社長ブログを拝見いただき、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。
 
今日のブログの内容は日本の靴下の歴史になります。
 
 
【日本の靴下の歴史】
 日本の靴下の歴史には、かならず出てくる「しとうず」とは、社寺での儀式で使われる足を覆う巾着袋の様なもので、現在の靴下の役割は無かった。西暦400年ごろの古墳時代に大陸文化として入ってきたと言われ、「古事記」にも「くつしたぐつ」との記載がある。
 
 現在でも束帯や十二単などの装束を身に着ける重要な儀式では着用される。足袋のように足指部分は2つに分かれておらず、伸縮しない布を使った巾着袋のようなもので、そこに足を入れて足首を紐で縛って固定する履物になっていた。
足袋
足袋(たび)
【足袋:たび】
 足袋が靴下の起源になったわけではないが、足を覆う日本独自の服飾文化として発展し、現在でも着物や袴を着衣するときには欠かせない物である。
 
 平安時代から「草履」が庶民に普及し、それとともに足袋が生まれたと推測されている。足袋は鎌倉から室町時代に武家にも使用されるようになった。
 
 
 武家にとっては、いくら寒くても裸足が当たり前の時代で、儀式や正式な場所では足袋を履かないとされていた。例外として、50歳以上の高齢者に限り、冬だけ着用が許されていたと「武家故実の書」『宗五大草紙(そうごおおぞうし)』に記されている。
水戸黄門
水戸光圀
【日本で最古の靴下は?】
 日本で最も古い靴下は、常陸太田(茨城県)の瑞龍山にある「瑞竜寺」で発見された。「瑞竜寺」は徳川水戸家の菩提寺であり、徳川光圀(1628~1701年)の長持から出てきた7足の長靴下である。時代考察からも光圀の所用品とされた。
 
 徳川光圀は、好奇心が強く、日本人で一番最初に靴下を履いたのは光圀であると言われている。
日本最初の靴下
徳川光圀の靴下
普段は未公開の光圀の靴下。
 
編み地が、非常に美しく精巧に編まれています。
7足の内、4足は無地の未晒しの綿製品で、3足は絹製品である。
有限会社 巽繊維工業所
〒634-0844
奈良県橿原市土橋町607番地
TEL.0744-22-5229
FAX.0744-25-2822
・靴下製造販売
 


大和三山に囲まれたのどかな場所でお仕事させていただいております。
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