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会長ブログ

世界の靴下の歴史 2

2019-09-26
カテゴリ:新製品開発,靴下ソムリエ
ウイリアム・リー
ウイリアム・リーとその編み機
今日も奈良の小さな靴下工場の有限会社巽繊維工業所の社長ブログを拝見いただき、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。
 
今日のブログの内容は、世界の靴下の歴史2になります。
 
 
【靴下編み機の発明】
 世界で最初に靴下の編み機を発明したのは、イギリスをウィリアム・リー(William Lee:1563~1610年)と言われています。リーは、1563年にイギリスのノッチンガム州カルバートンで生誕した。そして、ケンブリッジ大学で文学修士の学位を得て、牧師を志しましたが、その夢は叶いませんでした。
 
 
 リーは、ノッチンガムに戻り、妻と私塾を開校するが、生計を立てるには難しく、妻が当時の女子の内職として「靴下の手編み」をして手間賃を得ていた。その妻の指が精魂込めて次々と靴下を編み上げていく様子を見て、靴下の編み立ての機械化の研究を始めた。
 
 
 3年間の研究の末、1589年に世界で初めて『足踏み式 靴下編み機』を発明した。この機械は、近代メリヤス工業の始まりと言われ、その後の250年間の永きに渡り、生産され続けることになりました。
 
 
 リーの発明した靴下編み機は、手編みで靴下を編んで生計を立てている人の生活を脅かすものとして大変な非難を浴びることとなり、軍隊が乗り出してきて、編み機を破壊することもあったと伝わっています。
 
 
 リーは、このような非難や迫害にも屈せず研究を進め、この時代において他に例を見ない革新的な発明であるため、特許の権限を持つエリザベス1世に申請したが、権利化は許可されなかった。
 
 
 その理由は、『速くたくさんの靴下を編む機械は、靴下を手編みする人々から仕事を奪うことになる。』というものであった。当時のエリザベス女王は、絹のストッキングを愛用しており、『絹のストッキングを編む機械を発明したならば、少人数にしかその影響を与えないので特許も考えられる。』との但し書きも託されたと伝わる。
 
 
 失意のリーは、イギリスからフランスに渡った。フランスのシュリー宰相が靴下の機械生産に興味を持ち、リーを召喚したためであった。当時のフランス国王アンリ4世(Henri Ⅳ:1553~1610年)にも認められ、特許取得も目前となった。しかし、国王の死によりまたもや特許取得には至らなかった。そして、リーも国王の亡くなった同年の1610年に生涯を終えることになった。
 
 
 そのリーの死後、弟のジェームズと徒弟はロンドンに靴下編み機の工場を設立する。リーの発明した機械に改良を加えた編み機が次第に各地に普及することになり、メリヤスの本場と言われたイギリスの基盤を築いていくことになった。
 
 
 
 その後もウィリアム・リーの靴下編み機は改良されながら生産され続けた。1769年には、イギリス人のサミュエル・ワイズが手動横編み機を機械化する。また、1832年にはアメリカのティモシー・ベイリらが水車を動力源とする編み機を発明し、靴下の大量生産の時代に突入する。
有限会社 巽繊維工業所
〒634-0844
奈良県橿原市土橋町607番地
TEL.0744-22-5229
FAX.0744-25-2822
・靴下製造販売
 


大和三山に囲まれたのどかな場所でお仕事させていただいております。
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