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ガッツマンについて

 GUTS-MAN(ガッツマン)は自衛隊隊員様の演習、行軍向けに特別に開発された「快適なのに頑強な靴下。」です。

 開発は1998年頃まで遡ります。当時から全く変わらない開発概念は、『Think different.』です。

 下請工場としてゴールの見えない閉塞感漂う、どうしようもない日々の現実を自分達にできる事から少しづつでも良い方向に変えていきたいとのをその開発概念に込めてのスタートでした。

 開発の同時期にapple社が、テレビCMで『Think different.』を自分達の考えであると従業員を含む世界中の人々に伝えていました。
 悶々と悩み続けていた日々に偶然見たCMで、「これだ!」と思い、早速その真似を厚かましくさせていただきました。

 改良や進化を続けているため「完成することのない。」、「自衛隊隊員様には知らない人はいない。」そして、長年に渡り当社が培ってきた製造技術を全て注ぎ込んで製造される日本製の靴下ブランドです。
 そして、商品コンセプトは毎日懸命に働く人々の足元のストレスや疲れを軽減し、快適なフィット感やクッション性で足元を保護する少々オーバースペックなコストパフォーマンスに優れた靴下を超えたフットギアです。

展開タイプにもよりますが、頑丈でやぶれにくく、抗菌、防臭、吸汗、速乾等の靴下に必要とされる機能の全てにこだわりを持って製造しています。
 そして、『歩くためのフットギア。』『懸命に働く人の足元を衛るフットギア。』として、人に献身的な自衛隊隊員様から頑張るあなたの足を衛るためだけに誕生した無骨で質実剛健で少々オーバースペック・スーパーソックス群です。
 GUTS-MAN(ガッツマン)を一度着用するとソックスへの今までの常識を全て塗り替える事になると確信しています。


 GUTS-MANの本当の意味での誕生は、平成7年(西暦1995年)1月17日まで遡ります。その日の早朝に阪神・淡路大震災が起きました。

 そして、現地に通じる道路が復旧するのを待って、自社のトラックの荷台に毛布・飲料水・簡易コンロ・カップめん・レトルト食品・真空パックのご飯等を店頭では品切れになるなか、有志の人々からやっとの思いでかき集め、当時の自分達にできる精一杯の支援物資を準備しスペアタイヤを積み込み、若手の従業員2名と知人宅や複数の得意先に急いで向かいました。
 現地には、物資を積んだ県外ナンバーの車が集まって来ており、家族には「お見舞いに行く」言って駆け付けました。
 
 整然と綺麗だった市街地は、車道にも瓦礫が散乱し、車の轍の部分だけがかろうじてアスファルトが見える状態で、その周辺は焦臭く焼失した建物や山積みの瓦礫、異様な雰囲気と人の気配が無く寒風に包まれていました。そして運転してきたトラックから従業員2名と共に現地に降り立ちました。
 大自然への畏怖の念と何もできない無力な自分への無念さから、体の奥底から今まで感じた事のない苛立ちを感じました。そして自然と涙があふれる目を閉じ、何故か手を合わせてしまいました。そして『焦りや不平不満だらけだった今までの日常が、どんなに恵まれて幸せいっぱいの日々だったか気付きました。どうか、どうか、もう一度普通の日常に戻して欲しいと心の底からお願いをしました。』


 その被災地では、日常の住み慣れた家から避難してきた人々への温かいお風呂の設営、黙々と瓦礫の撤去を続ける自衛隊隊員様の他人のための献身的な活動、途方に暮れる被災した人々を元気付ける笑顔の迷彩服の自衛隊隊員様の姿をあちこちで目撃しました。

 そして、「支援物資を持ってきてやったぞ!」とばかりに傲慢で愚かな自分と献身的な自衛隊隊員様との対比で、被災現場の同じ場所に確かに存在するのに自分の無力さと無能さに衝撃的な恥ずかしさを生れて始めて感受しました。

 と同時に献身的な自衛隊隊員様全員に無能で無力であるが、自分の出来ることで何とか報いたいお役に立たせて頂きたいと無性に考えるに至りました。 

 その当時も現在も自分に出来ることとは、唯一つ靴下を作る事しかなく、お役に立たせて頂くために、まず何から手を付けたら良いかと悶々と悩みました。
 まず、当社に最寄りの八尾駐屯地や奈良基地の代表番号に「自衛隊隊員様のために靴下を作りたい。」との不躾な電話を何度もしましたが、窓口で丁寧にお断りをされ、自衛隊隊員様との接点が思いつかず見つからず一度は完全に諦めました


 しかし、自分のその小さな志を忘れかけていた2年後の初夏に私が自作した当社の会社案内のホームページを見たとある方から一本の電話が入りました。
『穴の開かない頑強なソックスを作ってないか?』との単刀直入な要望に少々戸惑いながらもご職業を尋ねると伊丹駐屯地の現役の自衛隊隊員様からでした。

 『隊を組んで、重たい装備を携えて「行軍」の訓練に参加する。国から支給される官品の靴下は2重にして履いても直ぐに穴が開き、足にマメができて出血までする。とても使用に耐えない。前回自分だけ行軍訓練に脱落した。今回こそ脱落する訳にはいかない。穴の開かない頑強なソックスが是非とも欲しい。』との切なる要望であった。

 2年前の衝撃を受けた自分の無力さや無能さを鮮明に思い出しました。そして同時に当時の寂しい町並み・悔しい気持ち・焦げた臭い・ザラツク手触り・瓦礫を撤去する自衛隊の重機の騒音までが次々と昨日のことのように思い出され、何としてもお役に立たせて頂こうと当時開発実績のあった警察機動隊員用靴下、消防署員用靴下、プロアスリート用靴下、オリンピック出場のゴールドメダリストに提供した靴下まで、ご要望のカラーのOD(オリーブドラブ)色にて試作品を次々に作成し、行軍訓練に間に合わせて試着大至急にして頂きました。

 しかし、どの製品も使い回しで自衛隊隊員様が着用するブーツである半長靴(ハンチョーカ)を想定した設計でなく、耐摩耗性も含め全く満足いただけませんでした。
 とても悔しく、再度使用素材を厳選し、半長靴の着用を想定した専用設計デザインに根本から見直し、靴下には通常使用しない補強糸を独自開発し、編立機械も大幅に改造し、強度の限界に挑戦しました。この試作品は、履き心地は最悪だが今の当社の摩耗強度の限界と考えるプロトタイプを試着していただき『これなら!』とやっと合格をいただけました。

 合格いただいた最悪の履き心地のソックスとは、伸縮性も無いゴワゴワのコーヒー豆が入っているジュートで織り上げた麻袋でソックスを作ったイメージでした。ソックスを製造する者としては、決して満足できず改良を続けて行くことになりました。

 ご依頼の電話から試作や改良の試行錯誤を何度も繰り返し約1年以上が経過し、次の年の1998年の盛夏が始まっていました。

 お恥ずかしながら、商品コンセプトの『Think different.』とは残念ながらほど遠い商品でした。

 その隊員様から『自分以外にも靴下を探している隊員が大勢いる。』との情報を信じ、駐屯地内で販売を開始しました。当初は、GUTS-MANのネーミングすらまだ無く、履き心地が最悪、日本製、単なる頑強なだけの靴下として、関西圏の各駐屯地基地を自社便で直接訪問して、1足づつ1人づつ対面しての説明を繰り返しての展示即売会の地道な販売を始めました。 

 その販売には、土日以外のほぼ毎日の時間を充て毎日違う駐屯地を訪問しました。しかし、販売効率が非常に悪く、どんなに1日頑張って隊員様に販売しても1足も売れない日が続出しました。
 当社の女性従業員を販売員に抜擢したり、高速道路料金を節約するために夜半に出発して夜明け前の一般道をひたすら走行し、ガソリン代を捻出するために食事は缶コーヒー1本だけで食費を節約し、展示即売用の靴下の間で寝袋に包まって、夏は蚊に悩まされ、冬は凍てつく寒さに震えながら車中泊をしたり、小さな靴下工場のオヤジが考えた幼稚な販売戦略を次々試みても売上は伸びず、やっぱり赤字になり、自衛隊隊員様のための靴下の製造を続ける事もできない状況にどんどん追い込まれていきました。 

 また、長年本業だった大手企業の下請OEM生産の売上も毎年20%~30%の割合で激減を続けました。3~5年後には、売上がゼロになる勢いでした。
 それでも、売上が欲しいがために試作依頼のあった案件は、『下手な鉄砲も数撃ちゃ当る戦法』で依頼相手を調べもせずに全ての試作を全力で行いました。その試作開発には、週末・祝日・夜間にサンプル作成をし、年間230~250件の試作開発や改良を続けました。
 そして、海外企業も生産を断った少ロット・短納期・過剰品質の利益の出ない案件を必死に掻き集めて生産を続けましたが、分かっていた事ですが、残念ながら売上の増加や利益に結び付くことはありませんでした。奈良県の片田舎の小さな靴下工場には、そんな惨めな手段しか残されていなかったのでした。
 しかし、狂気と執念で諦めずに販売と開発の両輪に全身全霊を注ぎ込み、目が回るほど忙しく奔走を続けました。それでも、毎月毎月何百万円という莫大な資金がショートし、返済のために新たな借り入れを金融機関に依頼する最悪の状況に陥ってしまい、倒産が現実になってきました。

 現実の厳しさや理不尽さに日々翻弄されながらも、それでも日々展示即売会に駐屯地に行くと、自衛隊隊員様からの要望があり、試着アンケートを積み上げ新アイテムにしました。『レンジャーの過酷な訓練に参加する。』『極寒の山へ雪中行軍に行く。』『国連のPKO派遣で酷暑の砂漠へ行く。』『高温多湿のジャングルへ行く。』と延べ人数200余名の実地訓練や行軍での改良を繰り返し、売上が上がらず苦戦する中、未だネーミングも無い自衛隊隊員様向け頑強なだけの靴下の展開アイテムだけが増加して行きました。



 そして、平成16年(西暦2004年)8月には奈良県産業振興総合センターの辻坂敏之博士の研究成果や信州大学繊維学部松本陽一博士、西松豊典博士との共同研究の結果を盛り込み、着用時の被服圧の快適性も新たな付加価値とした産官学連携しての新製品開発も実施しました。
 当社が製造販売してきた履き心地が最悪の『頑強なだけの靴下』に新たな付加価値として着用時の快適性を付与し、『快適なのに頑強な靴下』がやっと誕生しました。

 当社が産官学連携しての新製品開発の当初の目的は、海外企業での靴下の生産が毎年増加を続け、当時の輸入浸透率は87%を越える状況から、国内生産に少しでも回帰させることでした。
 しかし、その苦労した研究結果やノウハウを海外企業に無償譲渡するように取引商社より命令されたが、売上が無くなることを承知でその命令を断った。
 そして、しかたなく自社製品へ研究結果を投入することになったのが隠された真実でした。


 売上も上がらず利益も出ないのに必死に続けた翌年の展示即売会で、平成17年(西暦2005年)4月に女性自衛官から『この靴下気に入ったのに名前がないと再注文できない。』との要望もあり、無名だった『快適なのに頑強な靴下』に後付けで「GUTS-MAN」(ガッツマン)の商標(ネーミング)を付け自社の靴下ブランドとして販売を開始しました。

 「GUTS-MAN」(ガッツマン)のネーミングを当社が製造する製品群に付けて販売開始から、少しづつ、本当に少しづつでは御座いますが自衛隊隊員様の間での認知度売上が奇跡的に上がり出しました。

そして、現在では自衛隊隊員様の間では知らない人はいない靴下ブランドと言われるようにまでなりました。


 自衛隊隊員様が他人のために献身的に黙々と任務を果たす様を『ガッツがある人』=『GUTS-MAN』と命名しました。和製英語でもあり、将来の海外展開も厚かましく視野に入れていました。現在、欧州・米国・ロシア等への海外商標も取得済みで、越境ECの試行錯誤やフランスのパリでの常設販売を続けています。そのフランスでは、競歩の選手がGUTS-MANのリピーターになっているとの報告が入っています。そして、奈良県からも『海外展開リーディングカンパニー』に令和元年度に選出されました。

 

 『快適なのに頑強な靴下』として、自分の無力さや無能さに衝撃を受けた経験から約10年が経過していました。改良と進化を続ける『完成することのない。』、『自衛隊隊員には知らない人はいない。』ちょっと変わった日本製の靴下ブランドがあちこちに頭をぶつけながらヨチヨチと「第一章」を歩き始めました。

 そして、頑張る人々の足元を衛る(まもる)GUTS-MAN(ガッツマン)の第二章は
いつも頑張っているあなた様がGUTS-MANをご愛用いただく事で、自ら創り出して欲しいと願っています。

 
 もちろんGUTS-MANは、自衛隊様以外のお客様、特にスポーツやウォーキングをされるお客様にもお使いいただけます。


 


 今まで、人の縁と運だけで多くの困難や失敗をひとつひとつ乗り越えてきましたが、失敗や挫折の連続であったと回顧しています。

 毎年、地震・台風・感染症の蔓延等の自然災害や戦争やテロ等の人災が止めどなく続きます。そして、2011年(平成23年)3月11日14時46分に日本周辺における観測史上最大の地震である東日本大震災が起きました。忘れる事もできない、その日は金曜日でした。そして、翌日の土日の2日間、大阪の南港で陸海空の自衛隊が集結し、関西最大の一大イベントへの出展準備でトラックにテントや販売グッズの積み込み作業に追われていました。

 そこへ緊急速報の第一報が入りました。『関東から東北方面で巨大地震が発生。会場予定の南港は液状化し立ち入り禁止。イベントも中止。』事の重大さが直ぐに理解できました。福島原子力発電所のメルトダウンや津波の被害は繰り返しテレビ放映されました。比べる事ではないですが阪神・淡路大震災を大きく越える被害が発生し、自衛隊員様の献身的な活動が大きく報道されました。そして、今も復興は続いています。

 その困難を人の叡智と協力で再度立ち上がり、乗り越えて行かなければならないと考えています。

 そして、当社のガッツマンの誕生も、献身的な自衛隊隊員様や頑張る人のお役に立たせて頂きたいとの目的がありましたが、数え切れない多くの失敗や挫折から生まれてきました。

 『ガッツマンを必要とする人々のお役に立たせていただきたい。』『ガッツマンの製造に携わる人々を幸せにしてあげたい。』その信念だけで経営を続けてきました。しかし、その後も、何度も何度も数え切れない存亡の危機にも遭遇しました。当社がまだ存続出来ているのはほとんど『奇跡』であると考えています。
 その奇跡は、すばらしい従業員・真面目な協力工場・熱心なお客様に恵まれて、長年に渡り応援を頂いてきたお陰と心より感謝をしています。本当にありがとうございます。

 そして、当社創業100周年の2028年に長女の美奈子に事業承継できる企業に変貌することが直近の目標です。

 しかし、課題も山積し組織体制もまだまだです。当社が所在する奈良県の片田舎まで少子高齢化・設備の老朽化・原材料等の全ての諸物価の高騰等3重4重の荒波に飲み込まれそうになっています。

 また、ガッツマンが誕生した当時は、87%だったアパレル国内市場の輸入浸透率も増加を続け98.8%まで行きつきました。そして、国内生産比率が1.2%まで激減する異常な現状を打破したいと無謀な挑戦を諦めずに続けて行きます。
 一緒に挑戦したい方や冒険したい方も募集しています。

 これからもGUTS-MANの応援をよろしくお願いいたします。


ガッツマンの魅力を発信するページが完成いたしました。
是非ご覧くださいませ。
https://choku.co.jp/files/libs/896/201712061419595885.png
 極限の過酷な環境下でも任務を遂行する自衛隊隊員様を足元から支え、愛用されるハイスペックsocks=GUTS-MAN(ガッツマン)。

GUTS-MANは、奈良県工業技術センター(現:奈良県産業振興総合センター)辻坂敏之博士、信州大学繊維学部繊維システム工学科松本教授の監修のもと、当社の長年培ってきた技術を総動員し、産官学連携して「歩く」を科学し企画開発した高機能ソックスです。

 SOCKSに求められる基本性能の「頑強な丈夫さ」と相反する「履き心地」「足の快適性」を絶妙のバランスで多くの好評価を頂いております。
 自衛隊隊員様の半長靴、一般市場の登山用のブーツ、バイク用ブーツ、長靴での水仕事や漁師、力仕事のガテン系の皆様まで、ご愛用者が日々広がっており、1人でも多くの皆様の期待を超えるべく、現在も改良を続けており、最新のGUTS-MAN(ガッツマン)が最高のGUTS-MAN(ガッツマン)です。

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