2024年4月新社長に就任しました。
たつみせんい物語。
皆様にお伝えしなければならない事があります。
皆様にお伝えしなければならない事は、当社を応援頂ける事への心からの感謝の気持ちです。
当社は、昭和3年に現在の東大阪にて初代巽丈太郎が魚を獲る網に使用される綿を撚糸する下請工場を個人で創業しました。
そして、二代目社長の巽俊夫が戦後、当地奈良県橿原市にテニスコートや社員寮も完備した新工場を設立しました。
昭和32年頃より、地場産業だった靴下の製造に業態転換を行いました。
アパレル商社、スポーツメーカー、靴下卸の下請工場として、指示された規格・価格・納期を死守してOEM生産すること生業にしてきました。高度経済成長期には愛媛県や滋賀県にも工場を新設し、大量生産して、まだ成長途上だったカタログ通販のセシール様やGMSと呼ばれたダイエー様やニチイ様に大量納品をしてきました。
そして、人を大切に従業員やお得意様を優先して考え、自分達経営陣や家族の事は後回して、質素倹約で贅沢をしない慎ましい経営を続けてきました。
経営陣は親子代々、趣味も無く、真面目だけが取り柄で、誰よりも早く出社し、一番遅くまで仕事をしました。
近隣の道路やトイレ掃除を経営者自らが毎朝欠かさず続ける事を当たり前に行ってきました。そして、仕事熱心な従業員や良い得意先にも恵まれ、事業規模は順調に拡大して行きました。
その歯車が突然狂いだしたのは、30年以上前の元号が平成になり、バブルが崩壊した頃でした。
靴下の製造は、各工程で必ず人手を必要とする労働集約型産業であり、人件費の安かった新興国へ生産が移行を始めたことが最初のきっかけでした。
それ以来30年以上毎年増加を続けた輸入浸透率は、アパレル業界に限ると98.8%に達しました。国内生産比率は、1.2%という異常な状況下にあります。
大量生産は薄利多売する事で成り立っていましたが、国内製造業者は突然大量生産ができなくなったのです。
そして、海外工場も生産を断る効率が悪く儲からない、多品種・少量・短納期・過剰品質の案件を利益の出ない価格で製造する事しか残されていませんでした。
下請工場は、使い捨ての消耗品の様に弱い立場のため、理不尽で砂を噛むような悔しい経験・愉快犯的なクレーマーへの対応・勃発するトラブルの責任転嫁で、国内製造業を続ける事は、言葉や文字にもしたくない苦難の連続でありました。
それ以上に当社の経営の足を引っ張ったのが、当時のメインバンクだったNT銀行真菅支店に数年ごとに新しく赴任してくる支店長からの『ご提案。』でした。
その『ご提案。』とは、年商に匹敵する金額を株式への投資・未開の山野購入・大型店舗建設しての本の販売等でした。その『ご提案。』は、有無を言わさず首を縦に振るまで、毎朝就業前から会社へ訪問し、脅迫まがいの勧誘までありました。
そして投資に見合った事業の運営どころか些少の利益も一切望めず、NT銀行への有利子負債が年商の何倍にも爆発的に膨らみました。
当社と同様の被害は、小さな資産を持つ中小企業群や本業が順調な企業群が標的になりました。そして、負債の返済を続ける当社だけでなく倒産してしまった同業者や異業種の県内企業の悲惨な末路を多数見る事になりました。
そして、当社からも形のある物ない物ほぼ全ての経営資源(人・物・金・情報)を強奪していきました。この様な時は経営陣が一致団結しなければならないはずの親子・兄弟との信頼関係まで全てを奪っていきました。
残された私と家内の2人で、1から再度出直す事になりました。そして、唯一知恵と行動力だけが奪えずに残されていました。
その知恵と行動力で、本業の靴下製造に再度限られる経営資源を集中しました。
自衛隊隊員の過酷な訓練にも耐える最強靴下GUTS-MAN(ガッツマン)。警察・消防・機動隊員向け機能性靴下。靴下製造技術を転用した音楽コンサートやスポーツ用のリストバンドを多品種製造。全国展開する引越し会社の企業キャラクターを編み柄で差別化した業務用靴下の製造。有名ホテルや高級旅館の宿泊者用の靴下。学校の校章を刺繍したスクールソックス。修学旅行やインバウンド向け奈良土産で平城遷都1300年祭でのせんとくんグッズの製造。企業個人を問わず依頼のあった案件は全て受け年間250~300件の新製品開発や試作を行い、同業者の販売ルート以外で価格競争を回避できる販路開拓を休日や寝る間を惜しんで多くの挑戦を行いました。
その必死の営業活動で何とか些少の利益を出せても、『ご提案。』で年商の数倍まで膨れ上がったNT銀行の借入への毎月の返済が、思考が停止するぐらい大きな赤字で、NT銀行への返済に追われ続けました。
生命保険の保険金を使って返済に充てようと日々真剣に考える様になりました。その迷案を察した信頼する税理士から『そんなことしても、保険金も土地も会社も全部NT銀行に奪われますよ。』との言葉に我に返り思い留まりました。
このままでは、数ヶ月後の年末に返済できなくなる事になり、返済の条件変更でNT銀行へ意を決して相談に行きました。
当時の支店長と次長が大声で『待ってました!』と大喜びしました。翌日、当社に無断で本社の土地に測量士が入り競売準備が進みました。
当社の土地に奈良県の主要幹線道路が通る事になり、『ご提案。』の裏の主目的は、土地の乗っ取りだと理解していました。支店長からも『よく頑張った。当行の計算では、もう少し早くギブアップすると予想していた。』とお褒めの言葉まで頂戴しました。
知り合いの設計士からも、『本社の土地売ったんか?NT銀行ますが支店の新店舗の設計図書いてるんやけど・・・』との連絡が入り、Xデーに向け、当時の従業員全員に話をして覚悟を決めました。
覚悟を決めた日に、当社の五本指ソックスを長年ご愛用頂いている奈良中央信用金庫のK氏が来社されました。『工場を買わないか?』とのご相談内容に当社には資金が無く無理と回答しました。『必要な資金は、当行が全額準備する。』とのお申し出に、NT銀行との覚悟の内容をお伝えしました。
『それなら、NT銀行への返済資金も当行が全額準備する。』『あなたは、バカ真面目や。信頼できる。』とお褒めの言葉に家内と一緒にK氏の前で声を出して泣いてしまいました。
そのK氏のお陰で当社が今も存続できています。
そして、多くの方々とのご縁、数え切れない命の恩人、運が良かったお陰で存続出来ています。当社が今まで巡り会った多くの人々の誰一人欠けても存続できていなかったと考えています。
そして、2028年には当社創業100周年を迎えます。その時に長女の美奈子に事業承継したいと考えていますが、当社には、まだまだ多くの課題が山積しています。
ひとつひとつ必死に解決していますが、とても納得や満足できるレベルには到達していません。
それでも、これからも感謝とご恩返しの気持ちを込めて、一人でも多くの皆様に少しでもお役に立たせていただける製品を製造して参ります。
どうかこれからも応援をよろしくお願いを申し上げます。
会社概要
会社名 | 有限会社 巽繊維工業所 |
所在地 | 〒634-0844 奈良県橿原市土橋町607番地 〒634-0845 奈良県橿原市中曽司町76番地(登記簿上、当社の倉庫と不動産賃貸) |
電話番号 | 0744-22-5229(代) 0120-495-002(通販事業部) |
FAX番号 | 0744-25-2822 0120-495-992(通販事業部) |
代表者 | 巽 美奈子 |
創業 | 昭和3年4月 |
設立年月日 | 昭和32年4月16日 |
資本金 | 1,000万円 |
従業員数 | 15名 |
業務内容 | 「健康」「趣味」「安心」「福祉」「環境」「癒し」の6つの分野で商品開発している靴下製造販売メーカーです。 「健康」分野から『産研学』連携で新商品開発を進めています。 |
取扱品目 | 靴下全般(紳士・婦人・子供・スポーツ)五本指靴下・足袋型靴下・ 関節サポーター・手袋・腹巻・健康肌着・アイデア商品。 |
会社沿革
昭和3年 | 初代社長、巽丈太郎が大阪府東大阪市にて撚糸業者として個人創業する。 |
昭和 9年 | 大阪府八尾市に工場を移転拡張する。 |
昭和27年 | 現在地、奈良県橿原市に大和工場を新設する。 |
昭和32年 4月 | (有)巽撚糸工業所を設立する。資本金200万円。 別部門で靴下の製造を開始する。 |
昭和42年 6月 | (有)巽繊維工業所に社名を変更する。 二代目社長に巽俊夫が就任する。 |
昭和48年 6月 | 別部門で庭石販売と庭園施工を目的に緑化部を新設する。 |
昭和56年 2月 | 現資本金の1,000万円に増資する。 |
平成 8年 5月 | 書籍部、宮脇書店奈良橿原北店を開業する。 |
平成10年 7月 | 本社住所を大阪府八尾市より現住所に移転する。 |
平成15年 10月 | 三代目社長に巽亮滋が就任する。 |
平成16年 3月 | Skyline Recycleソックスが奈良県リサイクル製品に認定される。 |
平成16年 5月 | 奈良県ものづくりオープンラボ事業に採択される。 |
平成16年 6月 | 中小企業基盤整備機構の中小繊維事業者自立事業に採択される。 |
平成16年 7月 | 奈良県実用化・製品化研究開発事業に採択される。 |
平成16年 8月 | 信州大学繊維学部松本教授と共同研究を開始する。 |
平成16年 9月 | Skyline Recycleソックスがエコマークの認証を取得する。 |
平成16年 11月 | 奈良教育大学 若吉教授と共同研究を開始する。 |
平成16年 12月 | 奈良県より経営革新計画の承認企業に認定を受ける。 |
平成17年 2月 | 全省庁統一参加資格の資格審査に合格する。 |
平成17年 5月 | 奈良県工業技術センターの辻坂研究員と共同研究を開始する。 |
平成18年 6月 | 産業フォーラム推進事業に参加を認定する。 次世代医療システム産業化フォーラム2006に参加する。 |
平成18年 8月 | 奈良県成長産業創出チャレンジ事業に採択される。 |
平成19年 3月 | 全省庁統一参加資格の資格審査の更新が完了する。 |
平成19年 7月 | 二度目の中小繊維事業者自立事業に採択される。 |
平成20年 1月 | 防衛省・航空ショーに出店参加する。 |
平成20年 4月 | JR西日本・JR東日本と鉄道グッズをコラボして開発する。 |
平成21年 4月 | コンサートグッズ、イベントグッズ、平城遷都1300年祭の企画を開始する。 |
平成21年 9月 | 二度目の経営革新計画の承認企業に認定を受ける。 |
平成22年 1月 | 平城遷都1300年祭に向けせんとくんグッズを商品化、「奈良みやげ」販売開始する。 |
平成23年 4月 | 日清食品㈱、㈱電通とコラボでチキラーズを商品化 |
平成23年 7月 | 畿央大学、橿原商工会議所、当社との橿原市のお土産物プロジェクト開始。 |
平成24年 5月 | 奈良県よりガッツマンVAMONOSが奈良暮らしすに認定される。 |
平成24年 5月 | 松竹芸能㈱とのコラボで森脇健児氏のソックスの開発を行う。企業コンペで採択 |
平成25年 4月 | 奈良県橿原市土橋町607に事務所を移転する。 |
平成25年 7月 | ものづくり中小企業施策開発等支援補助金に採択される。 |
平成26年 4月 | 大阪府主催、次世代医療システム産業化フォーラムに再参加する。 |
平成27年 4月 | 経済産業省、中小企業庁の中小企業小規模事業支援の優良取組事例集に掲載 |
平成27年 9月 | ものづくり革新補助金2次公募に採択される。 |
平成27年 11月 | 長女、巽美奈子が企画営業として入社する。 |