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会長ブログ

第241 押し売りが家に来た断片的な記憶。

2024-05-31
カテゴリ:失敗談
注目
押し売りにもご注意!
押し売りが家に来た断片的な記憶。
  皆々様のお陰で頑張っている奈良県の小さな靴下工場、有限会社 巽繊維工業所の会長になった巽(たつみ)です。

 「靴下の世界を変える。靴下で世界を変える。」を私たちのミッション(使命)と考えて本気で全力で日々頑張って新しい挑戦を続けています。

 
 創意工夫で走り回って、片田舎の小さな靴下工場は存続をしていきます。

 これからも皆様の応援や声援をこれからもどうかよろしくお願いいたします。


 また、私どものブログを今日も拝見いただき、本当にありがとうございます。心より感謝を申し上げます。


  2024年の元日に能登半島地方を襲った大地震で被災された多くの皆さまに心よりお悔みとお見舞いを申し上げます。



  今日のブログは、私が子供の頃に経験した「押し売り」の断片的な記憶です。

  このような「押し売り」はもう絶滅したかも知れませんが・・・・


  当時住んでいたのが(有)巽繊維工業所が手狭になった東大阪市の工場から社員寮も完備した八尾市跡部本町の八尾工場へ拡張移転した場所でした。
  奈良県にも新設の工場が稼働し、父は八尾工場と奈良工場を毎日カブで行き来する毎日だったそうです。

  その工場の社員寮で、家族と私が小学校6年生になるまで従業員と一緒に生活をしていました。

  八尾工場の寮生活のため、一日三回の50人以上の従業員の食事の準備は母の仕事でした。

  そして、トイレは汲み取り・お風呂も共同でした。


  母は、近くのロクタンに立った当時流行の「団地に引越ししたい。」と何度も父にお願いしていましたが、聞き入れられる事は有りませんでした。

  ロクタンの団地は、私にとっても夢の様な整然とした明るく綺麗な場所で大人の自転車にケンケンしながら乗れるようになった頃に両親には内緒で近所の友達サキオ君と何度も見に行きました。
  

  八尾工場と社員寮は、JR久宝寺駅から徒歩数分の場所でした。当時は、貨物列車の操車場であり、工場の周りは田んぼが広がる長閑な場所でした。

  現在は、操車場跡にメガシティタワーズのマンションや八尾市民病院も移転しきて、とても住みやすい場所になっています。



  私が小学校にまだ入学前だった夏の暑い日に「押し売り」が社員寮だった家に来ました。


  断片的な記憶でしか有りませんが、ボロボロの大きな風呂敷を背負い真っ黒に日焼けし異様に痩せた変な臭いがするおじいさんでした。

  おじいさんなのにやたら威勢のいいシャガレた大きな声でしゃべるのにもビックリ\(◎o◎)/!しました。


  母と私の二人が対峙したのですが、玄関の入り口に座り込み、頼んでもいないのに突然大きな風呂敷を広げました。

  風呂敷の中身は、子供の目にも不必要なガラクタばかりだと分かりました。

  その威勢のいいおじいさんが、そのガラクタを『買え!』と大きな声で凄んでいるのを見て、なんて自分勝手な大人なんだろうと思ったのを記憶しています。


  その時、母は言われる通り、何かを買ったのかその部分は私の記憶には有りません。

  ただ、数日後玄関の掏摸ガラスの向こうに立っている黒い人影が見えました。
  また、同じ威勢のいい大きな声を出し、今度は玄関を拳で叩いたり、足で蹴っ飛ばしたりしていましたが、母は絶対に玄関を開けなかったのも記憶しています。

  物音に気付いた男性従業員が奥の工場から出てきてくれて、おじいさんの人影は何処かへ逃げて行きました。
  その後には、玄関の掏摸ガラスが割られ、建具は無残に壊されていました。

  そして、いつもドングリ飴を私にくれる大工さんが玄関の修理に来ました。
  玄関の外枠は今までの色あせた古い木材のままで、壊された建具やガラスの部分だけが真新しくなりました。


  今回、ブログを書くにあたって『押し売りが八尾の家に来たことあるやろ。覚えてる?』と私の記憶の断片を母に伝えて質問しました。

  母は、『う~ん。そんな怖いことあったかな?覚えてないわ。』とのことでした。

  『じゃ、ロクタンの団地は覚えてる?』と質問したら、ほっぺたをちょっと赤くして『引越しして住んでみたかったわ~』と思い出していました。


  でも、八尾の工場は、当時はとても物騒な土地柄でした。

  父から聞いた話になりますが、私が生まれる前には「ピストル強盗」が家に押し入ったこともあったそうです。

  強盗なので、何か取られたのか父に聞きそびれたのですが、居間の引き戸に大きな穴が不自然に開いたままになっていてました。


  その大きな穴は、強盗が一発発射した時の穴とのことでしたが、その強盗は何故かその後に何度も当家へ押し入ったと父は申しておりました。

  そのピストル強盗を再度出くわした父は、『また、お前か~。内には取るものは何もない。もう帰れ。』と言ったそうです。

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